伝統の三河花火(9)ー岡崎を中心に、その歴史と見方ー


    星と玉 

 戦火が広がり、菅生祭の奉納花火は昭和十二年(1937)
七月の祭礼で打ち上げられ、翌十三年から中止された。東京
隅田川の「川開き花火大会」も同じように同年から中止して
いる。
 菅生神社宮司の斎藤光久さんは、
「支那事変が起こりましたが、花火の準備も進んでおり、祭
礼当日七月十九日に出しました」
 と言われる。
 戦後、昭和二十三年(1948)から本格的に復活する。
戦時中は軍用火薬の製造に追いまくられる。この間は花火史
の空白期間であった。
 ここで、花火の製法、特に打ち上げ花火のつくり方につい
て少々記しておこう。
 花火は大きく分けて「打ち上げ花火」「仕掛け花火」「玩
具花火」その他となる。花火の王様は打ち上げ花火といわれ
る。
 玉皮の中に、割薬と「星」と呼ぶ色火剤などを丸めたもの
を配列正しく詰めるのであるが、長い年月の経験によって築
かれた方法と技術でつくられて行く。
 新聞紙などを水糊で貼り重ね球形の「玉皮」をつくる。最
近ではポール紙を打ち抜いてプレスして玉皮をつくるように
なった。打ち上げ花火の種類によって爆発力が異なり、それ
ぞれに適した強度の玉皮づくりが大切である。
 星づくりは一つ一つの星の均一性が大切である。星が均一
でないと球状に広がる形が崩れ、一瞬に、パッと変化しなく
なってしまう。

 星のつくり方は「打ち星づくり」「切り星づくり」「掛け
星づくり」がある。配合された薬剤を金属の筒にきっちりと
詰め込み、それを抜き出して完全に乾燥させる。これが「打
ち星」である。「切り星づくり」は、厚い板の上に井桁に組
んだ枠を置き、ここに練り合わせた薬剤を入れ、例えば均一
に5センチの厚さに木槌で叩いて、しっかりと固める。これ
を正確に一辺5センチのさいの目に切る。一辺が5センチの
立方体が出来上がる。これを乾乾燥させたものである。この
まま「星」として使ったり、これを芯にして薬剤をつけて丸
く仕上げたものが「掛け星」だ。
「掛け星」には、菜種とか粟粒に何回も薬剤をかけて丸く仕
上げたものとある。仕上がった星に「口粉(くちこ)」とい
う点火薬をつける。
 玉皮に割薬と星を詰めるのだが、まず導火線である「親導
(おやみち)をつける。これがしっかりとつけられていない
と花火は開かず、「黒玉」となって落ちて来る危険がある。
 玉皮は半円球二つで一組だが、その一方の中央に小さい穴
を開け、割薬の袋の中に親導を入れて内から外へ引き出し、
玉皮と親導を糊づけした麻糸でしっかり止めて固定する。こ
うしてから、星を詰めていく
 打ち上け花火が二重、三十の花弁の菊や牡丹に開かせるに
は、赤や青の色火剤を入れた大、小の星を同円心状に、二重
三重に並ぺて詰める。これが下半分で、同じように詰めた上
半分を合わせると「玉」が完成する。両手でびったり合わせ
られるのは三寸から五寸玉で大きな玉は、下半分は同じ工程
で詰め、何も詰めてない上半分の皮の上部を開いて下の皮に
かぷせて固定し、上から手を入れて詰め重ねる。仕上がると
幅2,3センチに切った和紙を「米」の字形に1寸あたり六
回貼り込む。最近は「クラフト紙」を使用する。
 この作業のどれをとっても、長い年月かけた技術の蓄積が
見られる。花火師はこの技術を身につけ、工夫を凝らし、細
心の注意を払って、一つ一つの打ち上げ花火をつくっている。

 

 

 


 

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